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2025年1月5日第一主日礼拝 「2025年新年礼拝」マタイ4:4、エペソ6:18、第一テサロニケ5:18 新納真司先生

  • 執筆者の写真: BANGKOK TBEC
    BANGKOK TBEC
  • 1月5日
  • 読了時間: 4分

更新日:2月15日


2025年1月5日 第一主日礼拝


私の中国観5 宋三姉妹


宋三姉妹をご存知でしょうか。この三姉妹はチャーリー宋という牧師の娘たちでした。そして、この三姉妹が今の中国、台湾という国の成り立ちに大きくかかわっているのです。そして今の中国・台湾問題も見えてきます。


三姉妹の父チャーリー宋は中国海南島出身でアメリカに渡り、船長から福音を聞きクリスチャンになります。また大学で神学を修め、牧師・宣教師になります。1886年上海で南メソジスト教会の牧師となり、伝道に励みます。そこであった信徒と結婚し三男・三女の子宝に恵まれます。また聖書を印刷・出版し財を築き浙江財閥となります。彼はそこで出会った国を憂う革命家「孫文」を支持するようになり、3人の娘たちも手伝いました。


そして1911年辛亥革命が起きます。辛亥革命とはこれまで続いて来た清朝を革命家孫文が倒し、中華民国が誕生します。


長女の宋アイリンは孫文の秘書をしており、後に孔祥熙と1913年横浜で結婚します。夫の孔はクリスチャンであり、アメリカのオベリン大学を卒業し、エール大学で鉱物学の修士号を取っています。石油ビジネスで成功し、辛亥革命以後は財政面で中華民国を支えました。

次女の宋チンリンは姉に代わり、孫文の秘書を務めました。次女チンリンは孫文の革命事業に深く共鳴し、両親の反対を押し切り1915年に東京新宿梅谷庄吉邸で結婚しました。梅谷庄吉は孫文の支援者で辛亥革命を財政面で大きく支えた人でありました。


三女のメイリンはアメリカウェズリー大学を首席で卒業し、後に国民党総裁になる蒋介石と結婚しました。三女メイリンはクリスチャンであり、蒋介石も結婚後クリスチャンになっています。

時代は混迷を極め、孫文は晩年、国民党と共産党の合作、ソ連との連携と労働者・農民運動への援助を3大政策として革命運動の基本路線としました。次女チンリンはこれを支持し、このために積極的に働きました。しかし、孫文は1925年、肝臓ガンのため北京で死去します。孫文死去後、国民党で実権を握ったのは蒋介石でした。国内統一をめざし、共産党打倒を主張する蒋介石と、孫文の遺志を継ぎ、共産党と協力して日本の侵略と闘おうと主張する次女チンリンは真っ向から対立することになるなります。ところが1931 年、満州事変が勃発すると三女メイリンは反共第一だった蒋介石を抗日のため、国共合作にするよう説得し、一致団結します。1945 年抗日戦争勝利後は、再び内戦となり敗れた蒋介石と三女メイリンは1949年12月、台湾に撤退します。長女アイリンはすでに香港へ行き、次女チンリンだけが中国にとどまりました。1949年10月、中華人民共和国が成立すると次女チンリンは中央人民政府の副主席に迎えられます。三女メイリンは晩年米国に移住し106歳で世を閉じました。宋三姉妹は三者三様の生き方をしました。時代を動かした権力者の背後で大きな影響力を与えと言えます。中国も台湾も国家の成立にキリスト者が関わっており、現在があることが分かります。戦後の日本統治について連合軍が話し合っている時、戦勝国による日本分割統治案がでていました。ソ連は北海道、東北地方、アメリカは本州中央部、中華民国は四国、イギリスは中国地方、九州。東京は共同統治。しかし、中華民国代表の蒋介石は日本分割統治案に反対し、我が国は戦後賠償を求めないと宣言しました。その後分割統治案は否決され、GHQによる日本国政府を通した間接統治になりました。日本もまたキリスト者によって守られていると言えます。



 

2025年1月5日 第一主日礼拝

●お知らせ

●静まり (主の前にひざまずき)

●祈り

●使徒信条

●賛美

 ・「恵み深き主のほか 讃美歌525番」

 ・「神はひとり子を 聖歌392番」

 ・「小さな祈り」

●献金・感謝の祈り (いつくしみ深き)

●聖書朗読 マタイの福音書4章4節、エペソ人への手紙6章18節

      テサロニケ人への手紙 第一5章18節

●メッセージ 『2025年新年礼拝』新納真司先生

●応答賛美 「主を見上げて」

●聖餐式 (主の手に我が手を重ね)

●頌栄 「あまつみ民も 讃美歌544番」

●祝祷

●後奏

 

 
 
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