2025年9月28日第四主日礼拝「雲外蒼天」創世記40章1〜23節 新納真司先生
- BANGKOK TBEC
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2025年9月28日 第四主日礼拝
介護について9
介護について書き残したことを思い出しました。看取りについてです。私は自分の父を病院で看取りたくありませんでした。病院ではなく、できるなら自宅でと。それは、病院ではなかなか死なせてくれないからです。医師にとっては死は敗北ですから、様々な方法で心臓が止まらないように処置をします。年を取ると嚥下(えんげ)能力が落ちます。食べ物が胃に入らず、肺に貯まり肺炎を起こします。誤嚥性肺炎といいます。誤嚥性肺炎を繰り返すようになると胃に穴をかけて栄養を接種する胃ろう措置を提案されます。口から食べなくなるので誤嚥はなくなります。母も胃ろうをしましたが、生気がありません。口から食べる喜びがないからでしょう。今は医学的に生き延びる様々な方法があるようですがしかし、それがその人にとってふさわしい生き方なのか。自分自身であれば、胃ろうは遠慮したいものです。程々のところでぽっくりと逝きたいもので延命措置は望みません。クリスチャンであれば、肉体のいのちの他、霊のいのち、永遠の命を既に持っているのですから肉体のいのちに固執する必要はないはずです。そのようなわけで、父を病院ではなく在宅で看取るつもりでした。しかし以前書いたように、在宅での介護に私たちの限界が来て介護付き有料老人ホームに入所することになりました。面接ではホームで看取られることを望んでいると伝えそれを受け止めてくれました。入所後に、食事が進んでいないと報告がありました。ご飯をおかゆに変えたり、自宅では好きだった梅干しを加えたり工夫しましたが、改善は見られませんでした。亡くなる3ヶ月前頃だったと思います。今思えば、体が死の準備をしていたのだと思います。死が近づくと食べなくなると言います。体が欲しないならば、食欲が落ちたことを心配する必要はなかったのです。少しずつ体を軽くして、天に昇る備えをしていたのでしょう。病院ならばさまざまな栄養点滴をしていたと思いますが、ホームでは自然のままにしてくれたの良かったと思います。時が来て父に面会した翌日に亡くなりました。98歳でした。穏やかな顔をしていたのは、家族にとって慰めでした。自分自身もこのように死を迎えたいと願うものです。
2025年9月28日 第四主日礼拝
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