2025年5月11日第二主日礼拝「信仰の筋トレしていますか」 ローマ人への手紙5章2〜5節 新納真司先生
- BANGKOK TBEC
- 5月12日
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2025年5月11日 第二主日礼拝
教会分裂について2
一回目の分裂は信徒時代のものでしたが、ニ回目の分裂は教職時代のものです。主任牧師によるセクハラ疑惑の話を耳にしました。当初はあまり気にもとめていませんでしたが、複数の人からその話を聞くようになって被害者から相談を受けたという人から直接話しを聞くことになり、一大事であると気づきました。話はだんだん大きくなり、知りうる被害者の数は増えているとのことでした。当然教会内でも大きな話題となり、真相究明委員会が立ち上がりました。ここで、主任牧師が事実を認めて謝罪すれば和解の方向性が見えてくるものですが、主任牧師は事実を認めませんでした。そしてついに臨時教会総会が開かれ、被害者と対峙することになりましたが主任牧師は謝罪しましたが、セクハラを認めたわけではなく教会を混乱させたことへの謝罪でした。総会は紛糾したまま終わりました。私は当時、海外におりましたが母教会の混乱に対して、自分の目と耳で確認し、何とかしなければならないという思いで一時帰国しました。そこで、主任牧師不在で教職会が開かれました。真相究明委員会の話の結果も調査中であり、確かなことはわからないというものでした。そこで気がついたのですが十数名の参加者の殆どが主任牧師側に着いているということです。主任牧師からそのような働きかけがあったのでしょう。これでは何を意見しても通らず、教会を立て直すことも出来ないと悟りました。海外の教会に戻りその後、私は母教会の教職を辞任しました。その後母教会から多くの教職・信徒が離れていきました。そしてこの出来事は裁判へと向かったのです。ここから何を学ぶでしょう。教会の特徴として主任牧師のリーダーシップが強く、機能していましたが、主任牧師が誤った場合は立て直しが出来ないことにあります。主任牧師が教会の創立者であったのでなおさら困難でした。どうしたら良かったのでしょう。対策として教会の制度として役職の任期を決めたり、解任のルールを決めることが解決の手段であると思われます。教会内部で問題を解決できず、裁判へと向かったことに対して批判的な意見がありました。聖書では、教会内の問題は内部で解決するように言われているからです(Ⅰコリント6:5)。私は内部の問題であっても、不法が行われた場合は別と考えます。不法が隠蔽され被害が長期化されるより、明らかになる方が解決に向かうからです。今回も多くの人が心に傷を受けました。人は罪を犯す存在であることを謙虚に認め、赦し合えること。また、制度として過ちが起きないような仕組みを整え未然に防ぐことは更に良いことです。
2025年5月11日 第二主日礼拝
~上海JCFとの合同礼拝~
●主の祈り
●賛美
・「聖霊来れり」
・「主をほめます」
・「Jesus, Only Jesus」
・「砕かれた魂」
●献金・感謝の祈り 「威光尊厳栄誉」
●報告
●子供賛美「主われを愛す」
●聖書朗読 ローマ人への手紙5章2〜5節
●メッセージ 「信仰の筋トレしていますか」新納真司先生
●応答賛美「主は道を造られる」「主は今生きておられる」
●使徒信条
●祝祷