2025年5月4日第一主日礼拝「キリストの昇天と再臨」 使徒の働き1章3〜12節 新納真司先生
- BANGKOK TBEC
- 5月4日
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更新日:5月10日
2025年5月4日 第一主日礼拝
教会分裂について1
私はこれまでに二度の教会分裂を経験しています。一度目は成長していく教会の中で、新たに独立開拓をしたところでした。私は社会人で、教会開拓を目指した先生とも長く奉仕をしていたので私も是非応援したいという気持ちで教会開拓を手伝うことになりました。約十名弱のメンバーが送り出されていきました。初めは勢いよくスタートしたものの、会堂もなく、家で行う礼拝はなんとなく寂しく感じられました。元の教会のメンバーもどうしているのかと、ちょくちょく見に来てくれることもありました。ところがこのことが後に問題となり、元の教会のメンバーは私達と付き合ってはならないという知らせが出たのです。私には全く理解のできないことで、交わりの禁止というものがこんなにつらいものなのかと実感しました。仲の良い兄姉が元の教会へはいるのに、気持ちは元の教会に近づくこともためらいを感じるようになりました。信仰ってなんだろう、教会ってなんだろうと考え始め、脱力し、数年間信仰の低迷期に入りました。開拓した教会は行き詰まり、私達は別のグループの教会引き取られたのです。成長過程にある教会が新しい教会を生み出すという喜ばしい出来事が、後には分裂という悲しい結末になったのです。今になって考えると分岐点となる課題が見えてくるのですが、信仰の未成熟な私やまだ経験の浅い牧師ゆえの結果だと思います。その後の元の教会も勢いを失い、長く停滞しました。教会の分裂騒動は今日もあちあらこちらで耳にします。そしてそれは教会に大きな傷を与えてます。霊的な視点で見るならば、悪魔は教会分裂に力を入れています。悪魔は物理的な力を加えてくるわけではありません、人の心に働きかけ、人の心に不信、疑惑をいだかせ、後には怒りや憎しみを生み出します。こうなるまでどのようなプロセスがあったのか当時の私は知りえませんでしたが、コミュニケーションを失ったことが不信の増幅につながったと考えます。悪魔が大好きなのは不信、高慢、自己義、裁きです。自らの義を主張するのではなく、足りなかったところを認め、イエス・キリストにあって受け入れ合うという謙遜を身に着けることでした。十年弱という期間を経たところで、私は個人的に元の教会の牧師にかつての自身の行動についてお詫びを入れました。赦しや和解のある所には喜びがあります。そこから私自身、新しい出発をすることができました。
2025年5月4日 第一主日礼拝
●お知らせ
●静まり
●祈り
●使徒信条
●賛美
・「輝く日を仰ぐとき」
・「主イエスの愛で」
・「栄光イエスにあれ」
●献金・感謝の祈り
●聖書朗読 使徒の働き1章3〜12節
●メッセージ 「キリストの昇天と再臨」新納真司先生
●応答賛美「注ぎたまえ主よ」
●頌栄「ちちみこみたまの(讃美歌541)」
●聖餐式 「主の食卓を囲み」
●祝祷
●後奏