2025年4月20日イースター礼拝(第三主日礼拝)「傷、失敗、弱さを乗り越えて」 ヨハネの福音書 20章1~17節 新納真司先生
- BANGKOK TBEC
- 4月27日
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2025年4月20日 イースター礼拝
キリスト者の職業観3
前回は世の光、地の塩として活躍した人を示した。しかし、そうは言ってもそうはならない、多くの苦労話も聞いている。中国でビジネスは許認可権を持つ役人に対して、袖の下(賄賂)を使うことがビジネスの常となっていた。キリスト者としては、そうしたくはないが商習慣としてやむを得ないと判断していると語ってくれた人がいた。日本でルール違反となっていることでも、海外ではそうでないことも多い。そういったグレーゾーンで悩むキリスト者の声を聞いた。私自身もゼネコン勤務時代に積算業務を行った。見積もり数量より実際は少ないという場面があることに気づいた。上司の指示に従ったが、もやもや感は残った。あのときどうすればよかったのか。私自身の考えでは、部下として命令されて行う分には、内容にもよるが行うことはある。組織の体系上その責任は上司にある。しかし、自分自身が責任者である場合は、ノーと言わなければならないだろう。であるから部下の時代にやむなく行ったことに対して、自らが責任者の立場に立ったときにキリスト者としてどう対処するべきかを熟慮しておくことだ。そして、もし自分が上司の立場になった時には以前熟慮した方策を実施すれば良い。キリスト者が社会の中で生きていくのは難しい。それは生きている世界が違うからだ。ダメなものはダメというだけなら、すぐに弾き飛ばされてしまうだろう。塩のように溶け込みながら、味を効かせ全体を引き立てることを通して神の栄光を現すことだ。キリスト者が世に遣わされたとは、そういう意味だと思っている。
2025年4月20日 イースター礼拝
●お知らせ
●静まり(前奏・球根の中には)
●祈り
●使徒信条
●賛美
・「主は導かれる 福音讃美歌399番」
・「御名を掲げて」
・「主イエス 神の愛」
●献金・感謝の祈り
●聖書朗読 ヨハネの福音書 20章1~17節
●メッセージ 「聖書が書かれた目的」新納真司先生
●応答賛美「土の器」
●頌栄「ちちみこみたまの(讃美歌541)」
●祝祷
●後奏