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2025年1月26日第四主日礼拝 「イエスが死ぬとき」 マタイの福音書 27章45節~56節 新納真司先生

  • 執筆者の写真: BANGKOK TBEC
    BANGKOK TBEC
  • 1月25日
  • 読了時間: 2分

更新日:2月15日


2025年1月26日 第四主日礼拝


山田長政(1590-1630)

「江戸時代にタイで有名になった日本人を知っているか。」と聞かれて、「江戸時代に?タイで!」となる。タイに住む日本人としては知っておきたいと思い、調べてみました。山田長政は駿府(静岡県)の生まれで、商人の息子でした。若い頃はかごの担ぎ手をしていましたが、朱印船貿易に興味を持ち、1612年シャム(タイ)に渡ります。スペインやポルトガル、中国など外国商船が出入りできる3方が川に囲まれるシャムの都アユタヤでは貿易が盛んであり、日本人も多く住み日本人村もありました。禁教下で逃れて来たキリシタン、関ヶ原で破れた豊臣側の牢人、職を失った下級武士などで最大で3千人住んだと言われます。アユタヤ王朝では隣国ビルマとの戦争があり、傭兵として戦いなれた日本人武士は重宝したようです。長政は貿易商として日本からは日本刀を輸入し、アユタヤからは鹿や鮫の皮、陶器・生薬の蘇木を輸出して順調に利益を上げ、ルソンやマカオにも交易を広げていきました。またその一方で体格のいい長政は傭兵部隊にも入隊。ビルマとの戦いで頭角を現し、国王から貴族の称号を得ました。日本人町のリーダーとなり、その後スペイン・ポルトガル連合艦隊と貿易派遣を巡って争います。長政は策を練り、焼き討ち作戦をもってスペイン・ポルトガル連合艦隊を退散させます。この戦勝により国王の絶大な信頼を勝ち取り、アユタヤ王朝第3位に就きました。その後王位継承問題を巡り、内部が混乱します。長政も混乱に巻き込まれ、新王に煙たがられ遠方の地リゴールの太守となり左遷します。そこで戦いで負傷し、部下の裏切りで傷口に毒を盛られ命を落とします。享年40前後でした。その後日本人町は焼き討ちに遭い消滅しました。現在は跡地に日本人村の石碑や山田長政記念館があり、当時をしのぶことができます。



2025年1月26日 第四主日礼拝

●お知らせ

●静まり (イエスが死ぬとき)

●祈り

●主の祈り

●賛美

 ・「イエスの十字架の深き恵み(福音讃美歌132)」

 ・「5つのパンと2匹の魚よ」

 ・「永遠にあなたと」

●献金・感謝の祈り (今ささぐる)

●証し

●聖書朗読 マタイの福音書 27章45節~56節

●応答賛美 「十字架の上にて」

●メッセージ 『イエスが死ぬとき』新納真司先生

●頌栄 「あまつみ民も 讃美歌544番」

●祝祷

●後奏


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