2025年1月19日第三主日礼拝 「人生の分かれ道」 ルカの福音書23章26-43節 新納真司先生
- BANGKOK TBEC
- 1月19日
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更新日:2月15日
2025年1月19日 第三主日礼拝
森永太一郎(1865-1937)
この方をご存知でしょうか。森永製菓の創業者です。佐賀県の伊万里出身で子供の時に父は病死し、母が再婚したため孤児となりました。叔父の陶器問屋で働きますが、倒産し、債務返済のためアメリカに渡って販売しますがうまくいきません。落ち込む太一郎にある婦人がキャンディーを渡します。あまりのおいしさに日本に洋菓子を伝えようと思い、洋菓子店で掃除職人として働きます。差別に苦しむ中、親切な老夫婦と出会い、そこで聖書に出会いました。初めは毛嫌いしていたキリスト教ですが、イエスの十字架上での祈り「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分からないのです」(ルカ23:34)というみことばに感動し、24歳の時洗礼を受けました。郷里伝道のために佐賀県に帰りますが、まったく相手にされず、失意のうちに再びアメリカに戻り5年間洋菓子製造に励みます。35歳の時、再び日本に戻り、み言葉を書いた屋台車の箱にお菓子を入れ行商しながら福音を語ると耶蘇のお菓子屋さんと呼ばれるようになります。やがて森永西洋菓子製造所を設立し、マシュマロ、キャンディ、チョコレート、キャラメルなどを販売すると大成功し爆発するように売れていきました。製造販売に明け暮れるようになると、いつしか信仰から離れるようになりました。事業に成功したことが彼にとって誘惑となります。彼は傲慢になり、神への感謝も忘れてしまい、生活も荒れるようになります。太一郎の信仰が回復するきっかけになったのは愛妻の死でした。66歳の時、再婚の妻タカが亡くなったことは太一郎を打ちのめしたのです。「私は妻をとられまして、自分の不信仰のために主イエスを数限りなく十字架につけた罪に対して、永遠の審判にならない前に、今ここで審判を下されたのです。今にしてキリストに帰らなければもはや帰る機会はない。」そう決心して、社長を辞め福音伝道者にもどったのです。彼が教会で語る時は「私は罪人の頭です」という聖書のみ言葉から始めたと言います。太一郎の正直な証しは聴衆に深い感銘を与えたと言います。森永製菓のエンゼルマークに太一郎の信仰を垣間見ることができます。
2025年1月12日 第二主日礼拝
●お知らせ
●静まり (主よ我をばとらえたまえ)
●祈り
●使徒信条
●賛美
・「イエスの十字架の深き恵み(福音讃美歌132)」
・「求めて」
・「その日全世界が」
●献金・感謝の祈り (今ささぐる)
●聖書朗読 ルカの福音書23章26-43節
●メッセージ 『人生の分かれ道』新納真司先生
●応答賛美 「応答賛美 聖歌638やがて天にて」
●頌栄 「あまつみ民も 讃美歌544番」
●祝祷
●後奏