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2024年10月27日第四主日礼拝 「世から憎まれることについて」ヨハネの福音書 15章18節〜16章4節 新納真司先生

  • 執筆者の写真: BANGKOK TBEC
    BANGKOK TBEC
  • 2024年10月27日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年11月1日


2024年10月27日 第四主日礼拝


ゆだねることと怠惰なことにはどういう違いがあるのでしょう。


神にゆだねることは勧められていますが、怠惰なことは勧められていません。結果としてゆだねたことは平安があります。怠惰は平安がありません。神にゆだねることは、結果をゆだねることで、必ずしも何もしない事ではありません。


現実には何もできない状況というのはあると思います。その時も、ゆだねた後は平安があります。またクリスチャンの歩みでは訓練があります。「すべての訓練は、その時は喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」へブル12:11。神様は愛する自分の子を訓練し成長させようとしています。神が訓練のために送った課題に対しては、もがくことが必要です。もがいている内に鍛えられ、成長するのです。わしはそのひなを育てるために、自分の背中に乗せ、空中でその子を落とし羽ばたかせ、落下してくるひなをまた自分の背中に載せます。そのようにしてひなに飛行訓練をするそうです。もし、ひながどうせ落下しても親が助けてくれるから大丈夫として何もしなければどうでしょう。その目的は達成されません。


神にゆだねるとは、忍耐をもって待つこともあり、訓練としてもがくときもあります。ではそれは一体どのように見分けるのでしょうか。忍耐をもって待つときは現実的に何もできない事が多いと思います。訓練の場合は、ああしたらいい、こうしたらいいと具体的なまたチャレンジングな考えが与えられる場合です。その時はもがいてみるのが良いと思います。いずれにしても、み言葉を読み、いのり、導きを求めていくその中で示しが与えられ、決断していくことが出来るでしょう。



2024年10月27日 第四主日礼拝

●静まり (詩篇77)

●祈り

●主の祈り

●賛美

 ・「つくりぬしを賛美します

 ・「叫べ全地よ」

 ・「主のまことはくしきかな」

●献金・感謝の祈り (今ささぐる)

●証

●聖書朗読 ヨハネの福音書 15章 18〜16章4節

●メッセージ 『世から憎まれることについて』新納真司先生

●応答賛美 「おおみ神をほめまつれ」

●頌栄 「讃美歌544番 あまつみ民も」

●祝祷

●後奏


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