2024年10月20日第三主日礼拝 「満点の星空のもとで」創世記15章1~6節 岩佐めぐみ先生
- BANGKOK TBEC
- 2024年10月21日
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2024年10月20日 第三主日礼拝
以前図書館で本を読んでいる時、驚くような内容を見つけた。「がんには本物のがんとがんもどきがある」(近藤誠 元慶応大学病院、近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来医師)。本物のがんとは転移するがんのことで、転移しないがんはがんもどきと呼ばれる。がんは通常、見つけられるほどの大きさ(通常1㎝)になるまでに10年はかかっている。もし、本物のがんであるなら見つけた時点で既に他の部位に転移しているので、見つけたがんだけを手術して取り除いてもそれは意味がない。
一方がんもどきの方は、転移しないのでそこにずっと留まっておとなしくしているので放っておけばいい。放っておいたらがんは痛むのではと思われるかもしれない。その先生の経験では放置すれば多くのがんは、年齢にかかわらず最後まで痛むことはない。「自然死のすすめ」(幻冬舎新書)を書いた中村仁一先生も、60-70名のお年寄りのがん患者を診て、がんに対して攻撃的な治療をしない場合、まったく痛みがないと書いている。がんの辛いイメージがあるのは手術後の痛みや放射線治療、抗がん剤治療の痛みであって、がんそのものではない。早期発見早期治療は間違いと刺激的な言葉が並ぶ。この様な近藤理論には医学会から反対も多いが一石を投じたと評価もある。日本でも治療は医者にお任せという時代から、自分のからだのことは自分で決めるという動きがみられる。「二人に一人はがんになる」と国立がん研究センターのデータで示された。がんはもう身近な出来事である。それぞれががん哲学を持つ必要がある。
私の場合は健康診断はしているが、がん検診はしていない。がんが見つかっても手術せず、放置するつもりだ。がんと対峙したときどうするかはそれぞれであるが、どうしても医者任せになってしまう。そうすると、手術、抗がん剤治療と流れていきやすい。本物のがんの場合はあきらめることだ。転移の方が治療より早いので、結果手術し続けることになる。手術で寿命を短くしてしまうこともある。がんもどきならば、転移もせず放っておいても痛まないので、手術してもしなくても結果は同じ。むしろ、その後のQOLを考えると手術損となる。こういうことは元気なうちに考えておくことがよいと思う。
そもそも病の根本は人間の罪から来ている。この罪を取り除くために来てくださったイエス・キリスト。いのちと死。祝福と呪い。あなたはいのちを選びなさいと言われる(申命記30:19)。がん哲学を持つことも大切であるが、永遠に関わるまことの命の方がもっと大切だ。クリスチャンはこの点を知らせていくことだ。
2024年10月20日 第三主日礼拝
●静まり (讃美歌514番 よわきものよ)
●祈り
●主の祈り
●賛美
・「つつくりぬしを賛美します」
・「主は良いお方」
・「聞け我らの賛美」
●献金・感謝の祈り (今ささぐる)
●証
●聖書朗読 創世記15章1~6節
●メッセージ 『満天の星空のもとで』岩佐めぐみ先生
●応答賛美 「誰も見たことのないことが」
●頌栄 「讃美歌544番 あまつみ民も」
●祝祷
●後奏