2024年9月15日第三主日礼拝 「弟子の足を洗うイエス」ヨハネの福音書13章1節~20節 新納真司先生
- BANGKOK TBEC
- 2024年9月16日
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2024年9月15日 第三主日礼拝
今年還暦を迎えた。若い頃は自分が60歳になるなんて思わなかった。50歳も60歳も、70歳も大して違いがなかった。しかし実際は大いに違う。50歳になった時は人生は下り坂に差し掛かっているということをはっきり意識した。そして最後に自分は何をなすべきかをもう一度考えた。60歳になって自分のしていることに迷いはなくなった。ただ死を意識するようになった。働きには終わりがあり、あと何年出来るのかを逆算するようになった。まだ動く元気はある、出来ることはなるべく元気なうちにしておきたい。70代は60代の延長のようであるが、実際は心持ちがずいぶん違うのだろう。これは諸先輩方に聞いてみたい。ただ未来は分からない、自分が生きているかどうかも。若くして亡くなった方も私の周りにはいる。ただ聖書によれば定まった未来がある。それはキリストの再臨であり、再臨したキリストが王としてこの地上を治める期間があるということ。それは一体どんな世の中になるのか私は見てみたい。「主は国々を裁き、多くの民族に判決をくだす。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)。なかなか終わらぬ戦争をみながら、破壊、嘆き、叫びが止まらない。止められる人もいない。現状を見ながら、未来に希望を持てず暗澹たる気持ちになっている人も多いだろう。しかし、聖書にはキリストが治め、もう武器は要らず、戦争のない真の平和がやってくることが明確に記されている。今の時代の暗さは、明るい未来のための生みの苦しみであることが記されている。聖書は歴史の書でもあるが、もうだめだという絶望の中でも預言者の言葉の通り、回復する場面がいくつも書かれている。まだ起きていない聖書の預言もこのように成就する。私は暗さが増す世の中において、未来に定められている希望ある出来事をもっと語っていきたい。
2024年9月15日 第三主日礼拝(会堂・Zoom)
・静まり(前奏) 「主よわれをば」(讃美歌333番)
・お祈り
・主の祈り
・賛美
「お招きに応えました」
「主の宮」
「主はわれらの太陽」
・献金 (いまささぐる)
・お祈り(献金感謝)
・聖書朗読 ヨハネの福音書 13章1節~20節
・メッセージ 『弟子の足を洗うイエス』 新納真司先生
・応答賛美 「イエスが愛したように」
・頌栄 あまつみたみも(讃美歌544)
・祝祷
・後奏